2015年12月に出版された苫米地英人著『人はなぜ、宗教にハマるのか?』(フォレスト出版)について取り上げます。

この本は、2010年に出版された『なぜ、脳は神を創ったのか?』のリメイク版です。一部加筆があり章立てなどが若干変更されているようです。

本書は読者プレゼントとして「特別動画ファイル」のプレゼントもあるようですが、記事執筆時点ではまだ配布されていません。

さて、この本はタイトルどおり宗教をテーマにした書籍ですが、宗教に関心がある人もない人も興味深く読める内容になっていると思います。

管理人自身は宗教にほとんど関心を持たずに過ごしてきましたし、宗教に関するこれといった知識もありませんでした。しかし、人間社会における宗教の役割は決して小さくなく、歴史的に見ても宗教を中心に歴史が動いてきたこともありますので、宗教に無関心でいることはあまりに無防備です。

この本は宗教の本質的なところから説明されており、宗教について詳しくない人でも深いレベルで理解できるのではないでしょうか。

 

興味深かった点

この本では宗教について様々な角度から考察されていますが、管理人が特に興味深かったのは、以下の点です。

  • 人はなぜ神様を必要とするのか
  • 神は存在するか

他にも多角的に考察されていますが、以上の点が比較的インパクトがありました。

また、前著『なぜ、脳は神を創ったのか?』から加筆された部分として、日本の宗教のルーツについての記載があり、日本の神道とユダヤ教との共通点や日ユ同祖論についても触れられており、こちらも大変興味深い内容となっています。

では以下順番に見ていきます。

人はなぜ神様を必要とするのか

幼いころから漠然と全知全能の神様がいるのではないかと思ってきた人も多いのではないでしょうか。困ったときの神頼みではないですが、窮地に陥ったときに神様に助けを求めたい気持ちになったりすることもあるかもしれません。

このように神様を必要としてしまうのはなぜなのでしょうか。その理由の一つとして、人間が不完全な情報システムの中に生きているからということがあげられています。

ほとんどの人は、自分が全知全能ではなく、完全な情報を持った存在ではないということを自覚しています。

部分情報しか持たないので、未来に何が起こるかわかりませんし、思い通りの人生を歩むことができないことも多々あります。

そういった状況では、完全な情報システムや絶対神に対する憧れや畏怖の念を持つようになるということです。

人間はどこまでいっても不完全な存在ですが、そうであるからこそ、すべてを知り尽くした全知全能の神のような存在を想定して、その神がこの世の中を支配していると考えることによって、不完全であることを克服したいという気持ちがあるのかもしれません。

このように捉えると、完全なシステムを信じるという意味では、資本主義やマルクス主義も宗教の一種であるという興味深いことも指摘されています。

神は存在するか

では、全知全能の神というものは存在するのかということですが・・・。

本書では端的にそれを否定しています。

根拠は、ヴェルナー・ハイゼンベルクの不確定性原理と、クルト・ゲーデルが発表した不完全性定理です。

宗教の話になぜ物理学や数学の話が出てくるのかと感じる方も多いかもしれません。

しかし、科学における発見は、世界がどのように成り立っているのかという人類の知見なのですから、宗教に影響を与えて当然といえます。

結論的にはグレゴリー・チャイティンによって1980年代に不完全性定理が証明されたことによって、学問のあらゆる系が不完全であるということがわかり、この世に完全な系が存在しないということがわかりました。

この世に完全なものが存在し得ないのですから、全知全能の神も存在しないということになるのです。

そしてこのことが釈迦の教えに通じるものがあるということも本書の後半で触れられています。

宗教に関する本でこういった内容が書かれているのは珍しいのではないでしょうか。博識である苫米地博士が宗教と科学を結びつけたわかりやすい解説は見事といえるでしょう。

おわりに

以上、管理人が印象に残った点を中心に説明してきましたが、本書ではまだまだ様々な角度から宗教について論じられています。

政治と宗教の関係や仏教が日本に伝わった経緯、釈迦の教えが正しく伝わっていないということ、神や宗教から自由になる方法などにも触れられ、現代においては宗教は不要であるとも結論付けられています。

改めて読み直してみて、その内容の密度の濃さに驚かされました。一度だけ読み流すという程度ではもったいない内容です。

是非一度お読みになってはいかかでしょうか。